ブックカバー

今読んでいる本が中途半端な大きさで、合うブックカバーがない。
ということで買いに行こうと思う。

手元にあるやつは文庫本サイズのものばかりで、それにしてもなぜ僕は読んでいる本を人に知られたくないのだろうか。
いや、ブックカバーというものがある以上、それはそういう秘密志向の人は多いことを示している。

以前も書いた気がするが、確かに変な挿絵があったりすると、恥ずかしい。
そのページは見られないように読み飛ばしがちなので結果、内容を全然知らない。

そこが歴史小説のクライマックスページなら、その結果を知らないことになるし、自己啓発本の太字ページだったら、その本の要約を逃していることになる。

名探偵コナンの人間のシルエットページなら、ああ何か黒の組織がやりましたかとなるし、方程式の解ページだったら、そもそも挿絵がない。


ただ、恥ずかしさゆえのみのブックカバーと考えると、実はそうではなく「保存や長持ちさせるため」の意味も、それにはありそう。

となると一番「ブックカバーが似合う」本は、「末代まで伝えたいエロい挿絵のある本」となる。
そうだったかー。


と、そんなことを考える前に、まずはブックカバー屋さんを探そうと思うのです。
一週間以内くらいに。

ラッキーパーソン

「ラッキーパーソンは自分自身がなっていいのか」というのは、誰に聞けばいいのだろうか。

ラッキーパーソンとは、テレビの占いで聞かれた言葉で、ラッキーアイテムなどの例を考えると、「会ったらラッキーが舞い込んでくる人」ということなのだろう。

「ラッキーパーソンは語学に長けた人」

ちょうどエスペラント語訳で困ってました、という人はともかく、ただその日の不運が決定した人にとっても、この語学に長けた人は幸せを与える存在なのである。


気になるのはこのとき、たまたま今日不運らしい人が、語学に自信があったらどうなのかという点。


「いやー、エスペラント語で書かれたメニューだったんだけど。読めてよかったわー」

これは自身ラッキーパーソンの効力なのだろうか、というと、何か違う気がする。
不幸が足らないのだろうか。

「いやー、落とし穴に落ちちゃって。エスペラント語で脱出方法書いてあってよかったわー」
何か違う。


「ラッキーパーソンは赤い靴の人」

「いやー、返り血浴びちゃったんだけど。靴が赤色でよかったわー」
物騒だ。


ラッキーパーソンが自身で担保できるかはわからないけど、もしラッキーパーソンたる要素を持てたなら、その日に会うおよそ1/12の人たちにラッキーになってもらえる。

そう考えると、自身もおのずと幸せって、なんて言うかこのレシートぱんぱん財布野郎が!!

戦争と平和

以前、「武器を捨てろ 服を着替えろ」というコピーが洋服のメーカーかなんかであって、こいつはかなり美しいなあ。
そんなことを、昨日のおしゃれについて書いていたときに思い出した。

そうなると気になるのが「武器が先か、おしゃれが先か」ということで、とりあえずこの疑問は以下のような捉え方ができる。

1.
人類史にとって、武器の文化とおしゃれの文化、どちらがより早かったか。

2.
双方に差がなく不足な場合、人間は武器とおしゃれ、どちらを選択するか。


1.については「2001年宇宙の旅」に登場する、武器を手に入れた類人猿を考えてみよう。
彼は確か、銀製のネックレスをしていなかったし、メッシュの黒タンクトップも着ていない。
あるいは彼女なのか。
彼女はイヤリングをしていなかったし、まつ毛は長くなっていなかった。
彼女は今の人類に比べ、多少鼻の下が伸びていたかもしれないが、それはマスカラをつけていたからではない。

どちらにせよ、多分武器の方が早かった。

2.については、例えばこれを考えるのはどうだろう。

「魅力的な異性が斬りかかってきたときにどうするか」

これだと、まずおしゃれを選択する人はいない。

「まずは相手を魅了するため、オーデコロンをつけます」
どんな武士道か。


これらの、足らなすぎる事象を踏まえると「武器が先か、おしゃれが先か」の回答は、武器ということになる。
残念なことに人類というのは競い合う生き物であるらしい。

ここはひとつ、デコ石器やデコ矢じりが出土されれば、まだ五分に持っていける気もするのだが。。。

おしゃれについて

最近、ただ頭をよぎる何かがよくあり、こないだは「2001年おしゃれの旅」というものだった。

なんのことはなく、「2001年宇宙の旅」の例の有名な「類人猿っぽいやつが武器を手にいれる」シーン。
何か動物の大腿骨で、暴力的にその頭蓋を砕く場面について「2001年おしゃれの旅」ではどうなるか。


おそらく、花畑か何かでメスが遊んでいて、隠れていた草むらから出てきたとき、たまたまコメカミに花がついていた。
それを見たオス。
スローシーン。

このスローシーンが唐突に浮かんできたのだ。


全然違うことをやっているので迷惑なのだが、一方でおしゃれというのは、案外上記のような背景から生まれたものなのかもしれない。

隠れている

心配

出てくる

良かった

たまたまコメカミに花がついている

良いことにはコメカミに花がついている

コメカミに花がついていることは良い

みんなコメカミに花をつけ始める


そう考えると、メスが隠れているくだりはほぼ事実と言ってもおかしくはなく、むしろ僕がなんの前触れもなくそのシーンを「思い出した」のは人間の種としての譲れない性癖のようなもので、「これは外せないよね」嗜好を垣間見た。
ある意味厳かですらありそうなことだったのかもしれない。


ということを全然関係ないことをやっているわけだから迷惑で、しかし次にはかなり困ったことが起きた。

もう一つの有名なシーン、「空に放った大腿骨が、宙に浮かぶ宇宙船に切り替わる」場面。
これが浮かばない。

少なくとも僕にとっては上記、骨と宇宙船の落差が楽しい場面なのだが、どうだろう。
現在、「コメカミに花をつける」ことに対して、以下の式が成り立つときのXは何になるだろうか。

【コメカミに花をつける】:【X】=【大腿骨】:【宇宙船】

一介の骨が宇宙船に変わることに匹敵する、おしゃれ変化。
おしゃれに疎いせいか、どうしても先見的なファッションショーしか思いつかないが、それでもあの落差があるとは思えない。

Xは何なのか。
言い換えるとまだまだおしゃれにはのびしろがありそうなわけだが、こういうのを考えると、また困る。

大腿骨Xと、コメカミに花をつけた宇宙船。
大腿骨Xはまんま海賊のロゴだし、コメカミに花をつけた宇宙船は、おしゃれやん。

竹馬の友

唐突に「竹馬の友」という言葉が浮かんだ。

小さい頃に遊んだ友達という意味だったと思う。

しかし気になったのは「竹馬」が複数人で遊ぶものかどうかという点だった。

けんか竹馬や、競争という遊びもできるだろうか。
しかしそれらの考えをもってしても、基本的に竹馬は一人一台だ。

竹馬一台に何人乗れるか。
バンブーダンス。

竹馬一台でもイケる遊びもありそうだが、もはや竹馬ではない。

「竹馬の友」

一台の竹馬を奪い合った仲というのも、大人になったらいい思い出だろう。


「お前んとこの吽形、ちゃんと高枝切りばさみと一緒に角に置いてあるよ」

ちゃんととはなんだ、ちゃんととは。
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