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戦争と平和

以前、「武器を捨てろ 服を着替えろ」というコピーが洋服のメーカーかなんかであって、こいつはかなり美しいなあ。
そんなことを、昨日のおしゃれについて書いていたときに思い出した。

そうなると気になるのが「武器が先か、おしゃれが先か」ということで、とりあえずこの疑問は以下のような捉え方ができる。

1.
人類史にとって、武器の文化とおしゃれの文化、どちらがより早かったか。

2.
双方に差がなく不足な場合、人間は武器とおしゃれ、どちらを選択するか。


1.については「2001年宇宙の旅」に登場する、武器を手に入れた類人猿を考えてみよう。
彼は確か、銀製のネックレスをしていなかったし、メッシュの黒タンクトップも着ていない。
あるいは彼女なのか。
彼女はイヤリングをしていなかったし、まつ毛は長くなっていなかった。
彼女は今の人類に比べ、多少鼻の下が伸びていたかもしれないが、それはマスカラをつけていたからではない。

どちらにせよ、多分武器の方が早かった。

2.については、例えばこれを考えるのはどうだろう。

「魅力的な異性が斬りかかってきたときにどうするか」

これだと、まずおしゃれを選択する人はいない。

「まずは相手を魅了するため、オーデコロンをつけます」
どんな武士道か。


これらの、足らなすぎる事象を踏まえると「武器が先か、おしゃれが先か」の回答は、武器ということになる。
残念なことに人類というのは競い合う生き物であるらしい。

ここはひとつ、デコ石器やデコ矢じりが出土されれば、まだ五分に持っていける気もするのだが。。。
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おしゃれについて

最近、ただ頭をよぎる何かがよくあり、こないだは「2001年おしゃれの旅」というものだった。

なんのことはなく、「2001年宇宙の旅」の例の有名な「類人猿っぽいやつが武器を手にいれる」シーン。
何か動物の大腿骨で、暴力的にその頭蓋を砕く場面について「2001年おしゃれの旅」ではどうなるか。


おそらく、花畑か何かでメスが遊んでいて、隠れていた草むらから出てきたとき、たまたまコメカミに花がついていた。
それを見たオス。
スローシーン。

このスローシーンが唐突に浮かんできたのだ。


全然違うことをやっているので迷惑なのだが、一方でおしゃれというのは、案外上記のような背景から生まれたものなのかもしれない。

隠れている

心配

出てくる

良かった

たまたまコメカミに花がついている

良いことにはコメカミに花がついている

コメカミに花がついていることは良い

みんなコメカミに花をつけ始める


そう考えると、メスが隠れているくだりはほぼ事実と言ってもおかしくはなく、むしろ僕がなんの前触れもなくそのシーンを「思い出した」のは人間の種としての譲れない性癖のようなもので、「これは外せないよね」嗜好を垣間見た。
ある意味厳かですらありそうなことだったのかもしれない。


ということを全然関係ないことをやっているわけだから迷惑で、しかし次にはかなり困ったことが起きた。

もう一つの有名なシーン、「空に放った大腿骨が、宙に浮かぶ宇宙船に切り替わる」場面。
これが浮かばない。

少なくとも僕にとっては上記、骨と宇宙船の落差が楽しい場面なのだが、どうだろう。
現在、「コメカミに花をつける」ことに対して、以下の式が成り立つときのXは何になるだろうか。

【コメカミに花をつける】:【X】=【大腿骨】:【宇宙船】

一介の骨が宇宙船に変わることに匹敵する、おしゃれ変化。
おしゃれに疎いせいか、どうしても先見的なファッションショーしか思いつかないが、それでもあの落差があるとは思えない。

Xは何なのか。
言い換えるとまだまだおしゃれにはのびしろがありそうなわけだが、こういうのを考えると、また困る。

大腿骨Xと、コメカミに花をつけた宇宙船。
大腿骨Xはまんま海賊のロゴだし、コメカミに花をつけた宇宙船は、おしゃれやん。

残り物

もし既にどこかで触れていたら申し訳ないのだが、「キメラの余った方」で何ができるかを考えていたことがあった。
こないだ、数分。

というのも、どうしても胴体ばかりなのである。

確か、キメラは顔がライオンとヤギと竜で、胴体がライオンか何か、尻尾が蛇の頭の方というのがそこそこ有名な姿。
それに対しての余りとなると、ヤギの胴体と竜の胴体、ライオンと蛇の尻尾。

ケパブはどうにかできそうだ。


とにかく考えた人がいけないのは、「とりあえず強くしてみました」精神。
オールレンジに対応できるよう、前後左右に顔を配置したい気もわかる。
確かに混ぜれば強いのだろうが、しかしちょっと節操ない。

今回のように、残り物の悲しさを考えれば、一つくらいはそちらに顔を残しておいて欲しかった。
そうすれば、それでも難しいが「蛇の顔にヤギと竜の胴体」がぎりぎりできたのに。

と、ここで気づいたのが「ライオンは尻尾以外、ほぼ全部入っていそう」という点と「余り物キメラにおいて、ライオンの尻尾はヤギと竜、どちらにつけた方がいいのか」ということだ。

前者は簡単。
ライオンが、強いことには外せないことを示しているから、褒められるべきだ。
特に、伝説の竜を差し置いての胴体採用は特筆に値するじゃないか。

後者の「残り物キメラ」のほうは難しい。
手に持って鞭にすることを考えたが、少なくともヤギの手で鞭は持てなさそうだ。
「蛇の頭」が残っていなかった場合、もう頭の部分にライオンの尻尾を持ってくるしかないが、それでは弱そうだ。

いや、少し怖いか。
確かに混沌とした感じが怖いだろうが、それでも大概考えるのは、彼にとって頭隠して尻隠さずという諺はどう振る舞うべきものなのか、ということだろう。

浅こより その1

安すぎたのだろうか。
現在使用している使い捨てマスクの片面が、使用していると「起毛」する。

効果や保温性はともかく、鼻側の面が起毛してもらえると、刺激がすごい。
くしゃみを誘発してしまう。

最近はどちらの面が起毛するか、わかってきたので大丈夫だが、当初は大変だった。
1/2の確率で内側が起毛し、くしゃみが出るのでもう片面を内側にするのだが、以下の点でよくなかった。


いままで外側だった面なので、避けたかった菌やウイルスがいっぱいいるのではないか。


素晴らしく起毛しているので、他の人から見ると「なんであの人のマスク、外側がフリース素材なんだろう」と思われる。

1は「ウイルスいけす」、2は「ユニクロ」と命名。
また、起毛で鼻が刺激を受けていることを「浅こより」と命名、様々な言葉がこの「起毛マスク」より、僕の中で誕生した。


ところで、「こより」とはそもそも何なのだろうか。
あまり考えたことがなく、一生を通じてもガキ使でしかみたことがない気すらする。

しかし「こより」の知名度はなかなか高いのではないか。
wikipediaによると、とにかく紙をよったりひねったりで、細くしたものらしい。
それで髪を結ったりするらしいのだが、現在の「こより」の用途は主にくしゃみ発生具が有名。
プロパガンダは甚だ恐ろしいものと痛感する。

それにしてもなぜ「こより」を使って、こうも人はくしゃみを誘発したがるのだろうか。
いや、どちらかというと「誘発させたがる」のだが、どうもそれは「くしゃみ」がどちらかというと負のイメージ、罰であるところに起因するような気がしてきた。

なぜくしゃみは闇属性なのだろうか。

次回にでも考えてみるが、あんまし面白くなさそう。

あけましておめでおとうございます。

僕はよくゲームをやるのだが、ゲームと言えど衝撃を受けるような物事が、今までも幾つかあった。

「すべてをしるもの」の登場である。

彼はファイナルファンタジー5の中ボスのような感じで、ストーリー途中で出てきた。
調べれば詳細もわかるだろう。


登場当時、幼かっただろう僕でも畏怖したことを覚えている。

「ついに出ちゃったよ、すべてをしるものが」

何せ全てを知っているのだから、こちらの戦力も、この戦いの行方も、ゲームの中と言えどこの世界がどうなっていたのか、どうなってゆくのか、全て知っているやつだ。

それと対峙する結果になるのは心苦しいと同時に、勝ち目なさすぎるとスクウェアブランドの攻略本を開いたものだった。


そういえば、フリーメーソンの三角の目(ちょっと怖い)のやつも全知を示す意味があったと思う。
すごいことだ、何でも知ってますっていうのは。


ただ、ここで全知の悲哀というものもあるかもしれないことに気づく。



全知全能という言葉がある。
それは紀元前、後なんてカテゴリどころか、あらゆる権力者、男女、年齢、専攻、業種、身長、趣味、性癖、出家非出家問わずに誰しも手に入れたいと願うものだろう。
その能力はお金儲けや覇権はもちろん、神と相応するくらいの価値があると考えられているから。



少なくともその名前だけを考えると、「すべてをしるもの」は「全知」らしいが「全能」のほうは触れられていない。
もちろん「全知」と大変威厳のある資格を有しているおじいさんであるため、かなり有能ではありそう。
ただ、「全知」と「全能」は必ず比例関係にあります、と言われるとそうかな?という気もする。

触れられていない以上、「全知だが能力的にちょっと」と、残念な属性がつく、余地があるわけだ。



全てを知っているが、焼きそばソースの粉末をいつもばらまいてしまう。
全てを知っているが、バーベキューの準備に参加しない。
全てを知っているが、球技が全般的に苦手。



「全知」を知識、「全能」を行動と置き換えると、何か啓発本かな?という感じにもなるが、とりあえずFF5のエンディングを、僕は見た。

僕は彼を倒したのだ。
ゆえに、おそらく「全能」ではなかったのだろう。
彼はしかし「全知」であるがゆえ、どうにもならない未来に対して、諦めにも似た感情を持っていたかもしれない。


全てを知っているが、バーサクが効く。


もしかしたら、そんな悲しい感情を持たせることなく戦えていたのかもしれない。
が、どちらにせよ、そんなすごい存在と戦う経験をしたというのに、僕はそこから何ら得ていない。
すべてをしるものと対峙し、勝利しているのにもかかわらず、おじいさんであったことくらいしか覚えていないのである。

知識というものが悪しくないものであるとするなら、全知じゃないものが全知なものに勝利するすることは悪ではないか。
FF5の頃の僕が抱いたのは、もっとシンプルではあるだろうが、もしかしたらそんなことだったのかもしれない。


今でもカートリッジを差し込めば、どこかで彼と敵対することができるだろう。
ゲーム上、仕方がないのだ。
しかしそのときは、せめて知っておきたい。

「なんで僕ら、あなたと戦うことになったんでしたっけ」を。





ということで、あけましておめでとうございます。

鋭い言葉が必要だった

よく言っていることなのだが「ドッペルゲンガーに会ったら、思いっきり罵倒する」ことが必要だ。

ドッペルゲンガーは妖怪というか幽霊というか。
ともかく「自分そっくりなやつ」であるらしい。

日本では「ともあるき」という、妙に怖い感じの似たやつがいる。
というか結構全世界に出会ったという話がある。

で、こいつに出会うと、その人は近々死んでしまう。

恐ろしいことこの上ないのだが、どこかの誰かが発見した。
出会ったときにぼろくそに罵倒すれば、その死から逃れられるということを。

そんな話をどこかで知ってから、もしものことを考えいろんなに人に教えているのだが、ある人からこう聞いた。

「その人は脳内出血とか、視覚に影響する病気、障害を発病していて、それが致命的なものである場合」
「そんなとき、幻覚で自分の幻影を見て、誰かに話して。そして近々に死んでしまう」
「そういった現象なのかもしれない」

実は聞いたことないわけではない話なのだが、やはり人から聞くという過程は素晴らしい。
自分ではちょっと味気ないと思ってしまっていたこの論が、僕のドッペルゲンガー対策法をより強固なものにした。

ドッペルゲンガーに出会ったら、罵倒して病院に行く。
フェールセーフです。

スカウトキャラバン ピオリムの部

カメレオンというのは「動くものしか認識できない」というのを、どこかで聞いたことがある。

確か、彼らの食べ物は虫とかで、それは大概素早いだろうから、理にかなっている気もする。

ところが、同様の理由で「水も動いてなければならない」のだそう。

飼育の際は水を流したり、水面を揺らしたりするのか。

水をぶくぶくするのなら、せっかくだからそこに魚でも飼おうか。
何か得した気分にもなりそうだが、それにしても「水まで動かなくてはそれとわからない」というのはちょっと度が過ぎている。

水くらいはそれがどうであれ、ひょいっと飲みたいところ。
ただ、「目を奪われること」が生きる上で必須で徹底しているその姿勢は、妙に人間くさい、そういえば手足の細さや付け根の感じがちょっと人間くさい。


ところで、人間にとって「目を奪われる」ことのいくつかは「美人」が関係しているが、彼らとしては、その美人が動いてなくては気づくことができないということになる。

おそらく、俊敏であればあるほどよい。
「俊敏な美人」。
彼らにとっては、気づきやすいという点で、より美人であることだろう。

そして、そこに貪欲に食欲を含めようとすると「美人なコオロギ」よりは、「俊敏な美人のコオロギ」がより美人で、しかも食欲で、となる。

カメレオンの世界がいったい何大欲あるのかは分からないが、2つばかりは欲を満たせられるはず。

「俊敏な美人のコオロギ」は、カメレオンにとって「見返れておいしい」、このブログでもちょい出てくるダリの「美とは可食性のもの」というやつにぴったりなことが、これ書いてたら思いついた。

老人

先日のエビのくだんで思い出したのだが、エビは「海老」と書き、それは「長い髭と曲がった腰が、老人を彷彿とさせる」から「老」という字が使われるのだそうだ。

確かに、エビを人間の「かた」に無理やりはめ込んでみると、どうにか髭と腰に、あの部位はあてがわれそうである。

ただ以前、「カブトムシの幼虫を、蛹になる直前に「クワガタの鋳型」に入れたら、クワガタ型のカブトムシがいけるんじゃないか」と書いたことがあるが、それよりは難易度が高いだろう。

やはり、人間とエビは結構離れている。

そう考えると、人間の「何かにあてはめる力」というのはすごい反面、多少無理をしている能力なのかもしれない。


有名な話だと「点が3つあると、もう人間の顔に見える」という心霊写真関連でよく聞かれるやつがある。
これはそれほど無理してない気がする。

一方、幾人かの風貌を真似たものまね芸人に対して、その能力に無理を生じる可能性は、昨今のテレビ番組をみるからには十分にあると言わざるを得ない。

もちろん、先ほどのエビやカブトムシの話などよりは、無理はないだろう。
ゲノムの差異もゴリラやチンパンジーよりも少ないことを考えると、ある意味全人類は全人類のものまねを完全にこなしていると考えてもおかしくない。

しかも、少なくとも挙動や衣装を真似、おそらく表情も似ているのだから、全人類の中でも、その芸人さんは「生粋の工藤静香(※1)」である。

だが、違う。
マイゲシュタルトを総動員しても、静香枠で彼女らをくくることはできず、結果無理をすることになる(※2)。


ただ、この無理が面白いところでもあることは明白で、例えばバカリズムが昔やっていた「なんとか県は持ちやすい」みたいなやつが面白いのも、こういった人間の能力をうまくあてはめ、あるいは受け流した結果なのだろう。


ところで、一つ明示しておく必要があるとすると、ここでの「何かにあてはめる力」というものの「何か」は、既知のものでなければならない点だろうか。
「エビをシジミオルニチンモドキに例えると、あの伸びた糸はパブリッシャー、曲がった尻尾はスニフ器に相当する」とか言われても、ただ人間性を疑われるだけである。



※1
ものまねされやすさというと一番に「工藤静香」を思い出した。
ある特定の工藤静香を指したものではない。

※2
ゲシュタルト心理学をこう使えるかどうかは、知りません。

メロディー

小さいころから妖怪の図鑑が好きで、今でも時々読んだりする。

気になることはいくつもあるのだが、今回は「小豆洗い」について。

こいつは「小豆を洗うような音を出す」妖怪で、一見無害そう。
「ゲゲゲの鬼太郎」でも、なんとなく鬼太郎サイドにこっそり参加しているという印象で、無害というか存在感が薄い。

ただ、妖怪的にはこの「存在感の薄さ」は重要なもので、科学的に理解されていなかった自然現象が、妖怪のせいにされていた昔、それは言い換えると「周りには怪異を及ぼすものがたくさんいるよ」ということでもあった。


しかし、そんな話を吹き飛ばすことが、僕が幼少より気にしていたことである。
こいつは、歌うらしいのである。

「小豆とごうか、人とって食おうか、ショキショキ」

ある意味妖怪らしい、怪しげな歌詞である。
水に流された砂の擦れる音、動物が砂利を踏んだ音、あるいは「小豆洗い」似の知らないおじさんが実際小豆を洗っていた音。
それだけの、存在感の無さ、無害さは、歌声というやや自然現象とは結びつらいことで薄まった。
そして、妖怪イメージは「人とって食おうか」で一蹴され、危険なやつにランクアップした。

それにしても「小豆とごうか」と「人とって食おうか」の落差である。

「俺とっては小豆を洗うことと人を食うことは同じようなことだ」
「朝飯前だ」

2行目は余計だったかもしれないが、なんだこのハードボイルド感は。

そして一番気になるのが、この歌のメロディーである。

「ショキショキ」が歌詞なのか実際の小豆をとぐ音なのか。
これも気になるが、僕が昔から一番気になっていたのが、メロディーである。

♪小豆とごうか
♪人とって食おうか
♪ショキショキ

水木しげるも、本当はこう書くべきだった。

どんなメロディーだったのか。
そもそも「歌う」というのが、今の「歌う」の感じではなく、句のような、都都逸のようなものだったのだろうか。

どちらにせよ、何か音源残ってないかな、と思う橋のたもとである。

やきとりについて2

【昨日までのあらすじ】

焼き鳥で音階をあらわすことになりました。

=====
笛で奏でられる音階はどれほどなのだろうか。

種類は「ドレミファソラシ」で、確かこれはイタリア語。
どの言語でもこの種類数は変わらないのだとすると、7種類だ。

まず、焼き鳥で7種類を考えてみる。

もも、レバー、つくね、かわ、ハツ、砂肝、軟骨

パッと考えると、これらが出てきた。
あら、ちょうど7種類。

ここで、調べ物をしていると、いいの忘れていた「ぼんじり」。
「ぼんじり」には是非「シ」を担当いただきたいところだ。

他にもいろいろな部位が焼きとられているようだが、ポピュラーなものはこんなところだろう。
は、これらのメンツで「焼き鳥の音階」を考える。

まず見逃せないのは「レバー」で、もう「レ」である。
ドレミの歌で、レモンと変えても遜色ない、生粋の「レ」。

それ以外のものが「レ」を担当するのは少々難しい。

「ドはドーナツのド、レはつくねのレ」
ドレミの歌の、何かの絶対的な概念が崩れているのである。

次に気になるのは、以外にも「ド」で、「度肝を抜く」という言葉から、砂肝をノミネートしたい。
「超弩級」という言葉の「ド」は確か、ドレッドノートという、軍艦の意を持つ英語から取ってきた「ド」であるが、実は「度肝を抜く」の「度」は、音階の「ド」だったのである。

「レバー」も肝臓であるから、ドの資格は持ってはいるが、彼彼女はあまりにレが似合う。
「ド」は砂肝だ。

そして「ファ」。
もう「ハ」と同義である。
したがって「ハツ」。

ここで整理すると、以下のようになる。

ドレミファソラシド
砂肝レバー(ミ)ハツ(ソラ)ぼんじり砂肝

もう全然面白くない。
そして多分、こういう串がきても、美味しそうじゃない。

せめて「ミ」と「ソラ」あたりには、ねぎでも挟んだほうがよさそうだ。




今回のメモ
具を器官順に刺した焼き鳥があったとしたら、それはちょっと遊びすぎなきがする。
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