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寄らば出す。 その2

昨日からのつづき。

【あらすじ】
ドクヤガエル、フキヤガエルって名前、なんかかわいそう。
毒の採取=殺害っぽいし。

=====
分解しやすかったり、熱に弱かったりするのでなければ、彼らの毒は人間には作用しないはずだ。
というのも、彼らの毒で狩った獲物を人間が食べて死んでしまうようでは、この流れに勝者はいない。

関係者全員死亡で、それでも勝者を考えるのなら、それは分解者だろう。


一方で、その毒が人間に多少也とも効いてしまうのであるなら、人間としてはカエルを触れたくはないだろう。
となるともう、毒の獲得方法は「ドクヤガエルを見つけたら、矢でちょい刺す」以外に考えられない。

その矢で獲物を射て、倒したら矢の刺さった場所付近を除去したりする。


それにしても、やはりそうなってしまうのだろうか。

「矢でちょい刺し」
カエル達の体長を考えると、それはもう全身裂傷に等しい。


あるいは「ちょい刺し」どころではないかもしれない。
カエルを矢で刺しぬいておいて、それをそのままシュッとやる。

大きな獲物を狙っている場合は、矢に何匹ものカエルを刺しぬくかもしれない。
それが矢先の毒量と比例するのかは分からないが、壮観ではある。

矢につらぬかれた、たくさんの小さなカエル。

矢、本来の用途を考えると「たまたま石の上に小さいカエルが連なって座っていた」みたいなことがない限り、そんな光景は見られないだろう。


まあどちらにしても、カエルにとってはあまりにも悲しい感じ。

次回、殺さずにドクヤガエル、フキヤガエルから毒を取ろう。
じゃあ本当に殺して毒を取っているのか、は知りませんが。
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寄らば出す。 その1

小さい頃に両生類とは虫類の図鑑を買ってもらった。
それを気に入り、ずいぶんと眺めていたものだ。

さまざまな種類が載っていたが、そのなかでも僕がよく見ていたのはカメのところで、今もカメを飼っている。
そして今日、カメではなくてカエルの話だ。

僕がこの図鑑で、カエルの事で気になっていたのは「ヤドクガエル、フキヤガエルは、毒を取られたら死んでしまうのか」ということだった。

たいがい極彩色の彼らは1センチくらいで小さいが、かなり強い毒を皮膚から分泌する。
それを、現地の人は狩りに使用するらしい。

それがどんな動物を狩るときに使うのか。
その毒は人間には作用しないのか。
そもそもすぐに分解されるから、食べても問題ないのか。

様々な疑問があるが、それにしても「ヤドクガエル、フキヤガエルからどうやって毒を採取するか」だ。

分泌するだけで事足りるのか。
彼らの体の小ささから考えると、どうも彼らを殺さなくては十分な毒を採取できないような気が、子供ながらにしたのだった。

ちょっと悲しい。
その上、この和名だ。

以前も直接すぎる動物名について触れた事があるが、これもそう。

「ヤドクガエル」
「フキヤガエル」

だそうだ。

矢だ。
彼らの存在意義は、矢だ。

「フキヤガエル」なんて、カエルそのものを詰めて吹いてしまいそう。

「スポーツ吹矢」のイメージを損ねるからやめてくれと、スポーツ吹矢の偉い人に言われるにちがいない。



そのうえ「毒採取時に殺されてしまうかもしれない」訳で、確かに幼少の僕が彼らが気になるのは仕方がないと言ったところ。

次回へ。

生前完全攻略

昨日から。

【あらすじ】
個人的な空間。
例えば車内など。

しかしその車が交差点などの「公の場」にいるとしたなら、その車内も結局「公の場」になってしまう。

「公の場化」。
日本。

そんな「公の場化」を阻止し、どうにか車内の個人空間を守る術はないのだろうか。
=====
②交差点に停まっている車の中から、お経が聞こえてくる。

これは結構守れていそうな気がするが、どうだろうか。

「こんなところで車内葬(たぶんない)するなよ。公の場だろ」という意見も出そうだが、一方で「まあ葬儀中だから中をのぞいたりするのはやめておこう。そっとしておこう」とプライバシーな部分が尊重される。

そんな雰囲気も得られそうである。

これは単に個人的な部分が強いだけでなく、「厳かファクター」という人間の根源的な部分を最大限に利用した、数少ない「公の場化」抑制方法と言えよう。



③市長、区長などになり、たいがいの公共施設を自宅周辺に密集して建設する。

権力の暴利か。
あるいは人類積年の夢か。

「公の場」を掌握する、力づくの大技である。
シムシティーなどでなら十分可能だろう。



④「公の場」になりそうな箇所を前もって所有しておき、そこにお墓や記念樹などを用意する。

ある意味、②と③の複合技。
ある程度の先見の明が必要な事と、実際「公の場」になりそうなときにそこから移動しない、できない意志の強さ。
しかし結果的にはそこが「公の場」にならなければいけないなど、敷居は高い。

だが実現すれば、例えばお墓なら、交差点の真ん中で線香をたいたりお花を飾ったりしたとしても、誰も「公の場なのに」とは思わないだろう。

あなたもその後、そのお墓に入るのだとしたら、なおさらその雰囲気を満喫できるかも知れない。

「ここ、スクランブル交差点の真ん中だってのに、俺埋葬されてるよ、うへへ」

「公の場化」の完全阻止である。

にじみ出る個人。

先日、「公の場」というものについて記した。

例え自分の車の中であっても、その車がスクランブル交差点のど真ん中に停まっていたりしたら、それはもう「公の場」なんですよ。
優しく説いた。


この話は「公の場」の枠なき広大さを示しているのと同時に、上記のような「公の場化」の対抗策はないものかと疑問を生じさせる。

絶えず、「公の場」というものは我々個人が持つ範囲、領域よりも大きいのだが、それでも何か。
何か策とか、面白い何かがないだろうか。

例えば、上記の例で、まんまと車内は「公の場」となってしまった。
ここで、車内のプライバシック(たぶんない)な雰囲気を、どうにか外に出す事はできないだろうか。


①車のドアから、ふんどしが長めに出ている。

ここでは、個人的なものの最主力をふんどしにしてみた。
それを車外に出す事で、どうにかして「公の場」に一矢報いたい。

とはいえ、もう書いているときから無理な事はわかっていた。

先日あるいは今回書いているように、公の場でやることは全て公の場の範疇になってしまうのである。
「公の場」でやっている以上、そうなるのはもうどうにもならない。

終わりのない旅。
はんこの見つからない居間。
道の途中からビニールを敷いているので、球が永遠に大きくなっていかないふんころがし。
ラビリンス。
公の場。


しかも、この例だと、おそらくふんどしは赤いだろうから。
そんなものが外に出ていると、どちらかというと道行くひとびとはふんどしと認識するよりは何かエマージェンシーなことを想像してしまう。

結果、やはり車内はのぞかれてしまい、「公の場化」はむしろ加速する。

もっと、考え方を変えてみたい。



何かおもしろいのないかなと、何も浮かばず次回へ。

ポップ

「公の場」。
そんな言葉が気になるモラトリアムな年頃も、いつかかつて、ありました。

普段の会話でちょろっと使うとまあまあおもろいが、一方で「どこへんが公の場とそうでない場に分かれるのか」は色々考えさせる。

その意味を調べてみると「ある特定の個人だけの場所ではないところ」などとなっているが、何となく分かる。

例えばどこかのスクランブル交差点の真ん中を、誰かが所有しているとは思えない。
あそこを所有するとなると、強力な私兵や、だいたい800mくらいの身長を持つ必要がある。

あそこは「公の場」であろう。

そうなると、例えばそこに普通乗用車で居座ってみたらどうだろう。


こんなところで車を止めるなと言われるが、こう言い返すのである。
「しかしこの車の中は俺のものだ」

これで、そこは「公の場ではないほうの場」に成り得たのだろうか。


もちろんこれはおかしい話で、ただ「公の場」を占拠しているのが人体から車体になっただけ。
この迷惑者は「公の場でないほうの場」を持って来たつもりだろうが、簡単に「公の場」はそれを包括する。
「公の場」は無尽蔵だ。

しかも、スクランブル交差点を行き交う人々が車内をのぞくだろうから、そういう意味では車内も「公の場」に浸食されてしまう。

これでその車が何かしら医療を目的とした特殊な車で、ちょうどこの迷惑者が胃カメラ検査なんかをしていたりしたら、もう大変だ。
彼の胃も「公の場」になりかねない。


こう考えてみると、「公の場でやってはいけないこと」というものがいかに大切なのか、分かる。
車内でポップなダンスをやられるのも困るし、胃の中にポップなアートをスプレーで描かれるのも困るのである。

トローチング

僕はバファリン子供用の、オレンジ味が大好きで、頭痛があるわけでもないのに食べて、よく叱られた。

その、バファリン子供用の過剰な摂取は、何かしら現在の僕に影響を与えているのかそうでもないのか。

それは分からないが、驚愕したのは「今でもトローチを噛んで食べてしまう」ことに気づいた今冬のある日であった。

喉に違和感をおぼえたとき。
トローチは、母方の祖母に言わせると「喉がすーっとする」。
また、咳が収まったりと、トイレットペーパーのミシン目くらい、活躍する。


それにしても、母方の祖母ほど「喉がすーっとする」要素が多い人間もいないだろう。

確か、サイダーを飲むとき、いつも「喉がすーっとした」と口にする。
ハッカ飴をなめても、そもそもすーすーしないタイプの飴であったとしても、「喉がすーっとした」。

あの調子ならうどんをすすっても「喉がすーっと」するだろう。
言い換えれば、彼女はあまりに普段「喉がどろっどろ」なのだった。


それはさておき、トローチなのだが、あれは妙においしい。
よく味わってみると少々漢方薬のような、妙なかぐわしさを放つが、何かおいしい。

いや、あれは漢方薬だろうか。
もっと無機質な、まあ何か病原菌を殺してくれそうな。
そんな風味だったような気がする。


とにかく、トローチは、噛んではいけない。
しかし噛んでしまったのなら、せっかくだからよく味わってくれ。

そしてその味が何だったのか、教えてくれ。
何の味に似ていたのか。

ただ、もしあまり味がしないようなら、それはあなたの舌が病原菌ってことだろうけどな!!。

俺とお前とむぎばたけ。

「どうぶつの森」で、なぜか部屋いっぱいに「むぎばたけ」が置けないようで悲しい。

一部屋に置けるものの数が決まっているのだろうか。
とにかく、懸命に集めた「むぎばたけ」が寂しく洋なしのクローゼットに置かれっぱなしになっている。

ひとつ気になる事があるのだとしたら、その部屋の真ん中には「UFO」を置いている。
意図はしなかったのだが、結果的にミステリーサークル的な何かが、「むぎばたけ」で部屋を満たす事を妨害したのかも知れない。


などと、「どうぶつの森」をやってない人には何の事を言っているのか分からないかもしれないが、重要なのは「昔、UFOがむぎばたけにミステリーサークルというのを作っていたらしい」ということだ。



幸か不幸か、一時は終末思想と相まって未知というよりは恐怖の対象にすらなっていた「ミステリーサークル」だが、近頃はそもそも話題になる事もなく、ああそんなものもありましたね、くらいになってしまった。

ひとときはあんなにどきどきしてテレビを見ていたのに。
僕はおそらく、徒歩3分のところで「ミステリーサークルできたよ!!」と話題になったとしても、たぶん行かない。

これは「未知のものに対する好奇心」が失われているとも言う事ができ、そう聞けば何かさびしいことのようなことでもあるが、一方で僕に言わせてみたら「未知のものは、昔はもっと未知未知していた」。


おそらく、昔は「ミステリーサークルは未知のもの」だったのだが、今では「ミステリーサークルはミステリーサークル」であって、訳が分からないものではあるのだろうが、未知というにはあまりに是非問わず詳細が調べられてしまった。
それが魅力の減少に繋がったのだろう。

なんたってだいたい円形だし、だいたい麦が倒れている。
そして夜、光る飛行物体が飛んでいたり、あるいは棒と紐を持った人々が畑に入っていったり。
そして何よりも、どうぶつの森ではむぎばたけが部屋一面に置けないってんだから、ほんと。

君の名は。 その2

昔読んだ本をまた読みたいのだが、タイトルが分からない。
こういうのはたいがいの人にあるだろうが、対象の本によっては救われる可能性もあろう。

「タイトルは分からないが、桃太郎が猿と犬とキジを連れて鬼退治に行く」

確実に桃太郎の鬼退治の話で、タイトルは覚えてなくても比較的速やかに目的の本にたどり着く。
みんなが知っている本であればあるほど、タイトルさらには内容も覚えてなかったとしても見つけやすいのだ。

上記桃太郎だって、「タイトルは分からないが、人が動物を連れて鬼退治に行く」でも結果は桃太郎であって、内容があいまいでもイケそうだ。

「タイトルは分からないが、最後に猿のイオナズンで鬼が一掃される」

こんなでも、最終的には桃太郎に「到着」できるだろう。
知名度は本人の記憶違いも是正可能だ。



それなのに、この世のなかにはなぜこんなにも「昔読んだ本をまた読みたいのだが、タイトルが分からない」が多いのだろうか。

という疑問のひとつの回答は「その本、みんな知らないしなあ」になる。


その感覚は、僕にいつも「そんな誰も知らないものをこしらえるんじゃない!!」と「みんな全部知っとこうよ!!」とふたつの気持ち悪い考えを持たせるのである。

君の名は。 その1

昔読んだ本をまた読みたいのだが、タイトルが分からない。
こういうとき、どうすればいいのだろうか。

確か文庫本で友人に借りたもの。
上下巻に分かれていたと思う。

原作は外国の方で、ややメンタリティというか宗教的というか。
そんな内容を取り上げていたと思う。

オチは、なんかキーパーソンが光りながら崩れ消えてしまうというもので、確か高次の世界へ行ったんスよ。
そんな終わり方だったように思う。


ストーリーや世界観はともかく、なまじっか内容を覚えているものだから、もう一度読んでみたい気もする。
しかし何だったのか。
説明する材料にも乏しい。

友人に聞いてみるか。

「昔貸してくれたやつで、上下巻に分かれている、最後人が消えちゃうやつ」

もうちょい、何か欲しいところ。



こういう「タイトル覚えてないけどまた読みたい本」というのは、似た類いのCF曲などとともに、人の心をつかみ続けるもので、専用のサイトもあるくらい。

そのなかに、キーワードを埋めていくとどんどん絞ってくれる機能なんかないだろうか。

こう、入力するところが10個くらいあり、そこに歌詞なり、流れていたCFの種類などを入力していくと、どんどん対象を絞ってくれるのだ。


となると、僕の知りたい本は「人が消える」「上下巻に分かれている」「友人が貸してくれた」というキーワードになり、最後はいらないか。

もう少しがんばると「スピリチュアル」「高次の世界」とかも行けるか。

そして残った入力欄には、あいまい検索として「友人が消える」「友人が上下に分かれている」「友人の世界」とかを入れて、楽しむか。

四字

面白くないと思っていた。

三寒四温
八面六臂
五臓六腑

この、数字部分を入れ替えてみたらどうなるか、という考えについて。

四寒三温
六面八臂
六臓五腑

どうにもならない。

いや、どうにかなってしまっていそうなものもある。

六面八臂
六臓五腑

このへんだ。

八面あったものが六面になってもいいのか。
あるいは六腑あったものが五腑になっていいのか。

わからない。
わからないが、とりあえずこう並べた四字熟語たちの縦の数字部分を足したら、16になることはわかった。
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