連名

高校の物理か何かで「ボイル=シャルルの法則」というものがあった。
確か理想的に振る舞う気体の体積とか圧力に関する、むずい式だった気がする。

ここで気になるのが「ボイル=シャルル」のところである。
この法則を発見したのが「ボイル=シャルルさん」と名字と名前だったらよかったのだが、確か別人。

ボイルさんとシャルルさんである。

このとき、多くの人は「なぜシャルルの方ではなく、ボイルが先なのだろうか」と考える。


この法則にたどり着くまでの労力が、ボイルさんの方が多かったのだろうか。
より重要な式を探したのだろうか。
五十音順ではシャルルなのに。


確かに、ボイルとシャルルの順番も気になるところだが、一方で「連名」である。
こういう風に表現したか、と感心する。


ところで話は変わるが、「ギャラン(ガラント)反射」というのをご存知だろうか。
これは「赤ちゃんの背骨の左右どちらかをなぞると、そっちの方向に尻を振る」という、原始的な反射の一つとして知られているものらしい。

何となく「宇宙刑事ギャバン」を連想させ、ああ確かにギャバンもギラギラ銀色で反射していたな、と感慨深くなる。

何かでこの「ギャラン反射」を知り、他にもそういった赤ちゃんが示す反射はないかと調べてみると、「モロー反射」というのもあった。
これは「落下や音に対して抱きつくような動きをする反射」のことで、おさるの時代を経験したほ乳類にみられるものなのだろう。


で、すなわち「ギャラン=モロー反射」とは「赤ちゃんの背骨をなぞりながら激しいダンスを踊ると、赤ちゃんが尻を振りながら何かに捕まろうとする」反射のことであり、なんだか、なぞっている方、尻を振っている方どちらもちゃんとしろよ、と言いたくなる事必至である。

ちなみに「ギャバンモロ反射」となると、もうこれはギャバンの体色である銀色が良くない、ということで何ら懸念点はない。

侵入2

【あらすじ】
サンタの格好をした人がこそこそしていると違和感。
こそこそとした挙動をするとマズい人たちがいるのではないか。

=====
まず思いつくのが新郎新婦や歌舞伎役者などである。
ウェディングドレスを着た新婦が「あ、ちょっと通ります」みたいな感じでカメラを横切ってはいけない。

いやお前、お前を撮るんだよ。
そう突っ込まれる事うけあいである。

と、ここでもう判明したように、結局「派手な目立つ服装の者はこそこそしてはいけない」のである。

派手な格好しているならこそこそせず、派手に立ち回るべきである。
一方、こそこそしたいのなら、派手な格好をすべきではない。


実は、この「こそこそした挙動をするとマズい人たち」を考えた時、まず思ったのが「SEKAI NO OWARI」のピエロであった。

もうピエロというだけでこそこそしてはだめだし、まずなんか怖い。
そして「SEKAI NO OWARI」と自ら名乗っている。
垣間見える終末思想の断片が、1999年7月に来る予定だったのはこいつなんじゃないかと思わせ、恐ろしい。



「サンタの格好をしたスタッフ」にそんな恐怖を覚えることはないと思っている方もいるだろうが、考えてみてほしい。

「クリスマス→サンタの格好」という構図は、ちょっとありふれすぎている。
ピザの配達員はコスプレしてバイクを運転しているし、コンビニのおばちゃん店員は帽子でさりげなくサンタを演出。
カインズホームのペットコーナーには、ブルドック用サンタ衣装が売られているわけである。

この一辺倒な「クリスマス→サンタの格好」志向は、本来のサンタの重要性を希薄なものにさせてはいないだろうか。
あるいは「サンタが本来やること」以外のことをしすぎてはいないだろうか。

ピザを販売し、男の目を狂わせ、犬。
これでは「サンタ本人」は自分の格好の恥ずかしさに、それこそ「こそこそ」しなければプレゼントも配れないことになってしまう。

恐怖ではないが、何か悲しみを感じさせる。

そしてこの悲しみは増大する。
こそこそすることになったサンタはまず服装を変えるだろう。


空き巣を生業にするものの多くは普通の背広姿でターゲットを物色するそうだ。
それが一番「まぎれる」のだという。

それを考慮すると、現代のサンタは背広姿の可能性が高いという事になり、ほらたかし、お前の身近にいるだろう背広姿のやつが!!という感じで子供の夢が壊れる。


と、いろいろと思った次第でございます。

侵入

今日は2014年の12月末なのだが、いわゆるクリスマスシーズンである。

子供の頃は、プレゼントと称したサンタさんからの善意の固まりを楽しみにしていたわけだが、最近は彼が世界中の子供達にプレゼントを配れるよう、寄付をする身となった。

だからか、あまりクリスマスというものに心が動かされる事がなくなってしまった。


しかし先日、心の揺さぶられる事があった。

それはあるイベント会場付近を歩いていたときの事。
そのイベントスタッフなのだろう、ドンキホーテで売っていそうな薄着のサンタコスプレの女性が舞台付近を忙しそうにしていた。

それは結構なのだが、気になるのが「移動する時、身を屈めていた」点である。

素人目には分からないが、もう撮影やテストをしていたのか。
だからカメラに写らないようにしていたのか。

しかしどちらにせよ、私は「サンタの格好をした者がこそこそする」のは非常に良くないと、そのとき感じたのだった。

それはどうしても「サンタは侵入者」であることが否めないという事実からだろう。
やはり、枕元に知らないおじいさんが来るというのは、セキュリティの面からしても良くない。

「寮に侵入し、女性の枕元に20分間立った後、退室」

これが、よく聞く不法侵入というのものに相当するのかはわからない。

だが、法に触れているのは間違いない。
彼が変態であっても、サンタであっても、だ。


したがって、そんなことを生業としているものが「こそこそする」ことは、みんな気付いていなかった、あるいは気付いていたがうやむやにしていた侵入という不信感を一気に思い出させることなのである。



次回
こそこそとした挙動をするとマズい人たちを考える。

歯ぎしりのくだり、少し遠いの巻。

うちの猫が、もう16歳くらいになるのだが、歯ぎしりをするのである。

こう、ホットカーペットに寝転がっていると、猫がよってくるだいたい10分ほど前から寒くなってくる。
やはりカーペットに接している部分とそうでない部分の温度差が激しいからだろうか。
余計に寒い。

そうなると我が家も大したもので、近くにフリースの小さい掛け物が用意されている。

でもこれを掛けるのなら、その前に必要なものを身近に置こうと、茶を入れたりタブレットとその充電器。
軽いスナック菓子などを用意する。

こうして、僕のまわりは必要なものが京都の町のように整然とならび、商いをできそうな状態になる。

そうしてから10分後くらいに、猫が来る。



なんと、我が家には恐ろしい事に「こたつ」の文化がない。

これは以前からずっとそうだったというわけではなく、ずいぶん昔は、冬にはこたつがあったのだ、うちにも。
しかし、あまりに「家族が動かなくなる」という至極当然の現象により母親が激怒。

以来、住人がこたつに触れる事はなくなった。



猫は来ると毛繕いをし始める。
自分の体から甘い汁でも出ているのか、というくらい綿密に、そして毛の色が変わるくらいにだ液が出ている。

まず、猫は甘い味が分からないと聞いた事がある。
本当だろうか。

「甘さ」は「栄養」の味である。
確かに「苦い」「すっぱい」など、体に害のあることを示す味覚と比べてみたら、それを感じ取る機能の優先度は低いかもしれない。

しかし、昔飼っていた猫は「あんこ」が好きだった。
「あんこ」はもう調味料として砂糖の代わりに使用して良さそうなくらい甘い。

「味はしないけどとりあえずなめといた」可能性もあるが、この例からするとちょっと「猫は甘さが分からない」には納得できない。

とはいえ、これ以上の論はないため、おそらく隣に来た猫の体からは甘い汁は出ていないのだろう。
いや、甘い汁は出ているかもしれないが、彼女はそれに気付く事なく、ただなめているのだ。


そういえば、猫が自分の体をなめるのは「日光浴でできたビタミンを摂取している」というのも聞いた事がある。

これもどういうことなのか。
確かに、日光浴は体に良いと聞く。
しかしその理由は「ビタミンが分泌される」ということだったのだろうか。

僕にとってビタミンはほぼ「野菜」が作り出しており、動物性の食品でそれが摂取できるとしても、それは野菜が作ったものを溜め込んでいるだけと考えており、もうカゴメと八百屋のプロパガンダは甚だすごい。

しかし、そんなビタミンが、動物から産出されるとは。
少なくとも猫からは、にじみ出ているということなのだろうか。
すごいぜ、猫。



ということで、まあ何かと言うと、年経た猫が枕元で歯ぎしりをする様は、もう化け猫以外の何物でもなく、ビタミンを摂取するために猫をなめる人がいるとすれば、もう化け猫に取り付かれた人以外の何物でもないのです。

大掃除

コンセントについている埃を快く思う人はそういないだろう。
実際僕もそうで、見つけたらさらっと掃除したりする。

しかし、たいがいの部屋はそうだと思うのだが、例えば本棚の後ろとか、タンスの後ろとか、なかなか手の出せないスペースにコンセントはある。

そんなアプローチできない場所の掃除はどうすればいいんだ。
すごく埃が溜まっていたら汚いし、火災の原因にもなりそう。
気になって仕方がない。




そこでおすすめなのが「年末の大掃除」である。

年末は休みがあるだろうから、日頃動かせない家具を移動させる、良い機会である。
そのチャンスを生かし、動かして掃除をするとよい。
ついでにカーペットなどの敷物の方向も変えて、「本棚に隠れていたから日焼けしていない」部分を出すのもやっておきたい。
もちろん、タンスの裏に落ちているものベスト3に入る「物差し」「小学4年生のときの絵」「破魔矢」も回収しておきたい。

そして、ここまでやるのならもう、どこもかしこも掃除すべきである。
偶然ながら、年末にはカインズホームなどの販売店では様々な掃除グッズが目立つところに置かれているから、もうほんとにどこでも掃除ができてしまう。

こんなチャンスは年末を逃しては、そうそうないだろう。
年末の休みを利用して、掃除をしてみるべきではないだろうか。



=====
nimbus7942
2014年 「年末の大掃除」を世界で初めて発見

悪口

今日は寒いし、電車で並んでたら割り込まれたし、マフラーで口元隠していたらちょうど鼻のところに毛がくるし、くしゃみは止まらないし、ぎりぎり避けてるつもりの人とぶつかるし、相手がいい人だし、座席の両隣の人はもっこもこだし、ホワイトボードんとこのマジックは全部ひからびてるし、カニクリームコロッケだと思っていたらカニコロッケだったし、中国の観光客の人にお台場の場所教えてもらったし、街のイルミネーションははしたないほど輝かしいし、お気に入りのポンチョのボタンがどっかいっちゃうし、ゴルフ場のビールはくそ高いし、フリスクまだあると思っていたらこないだ拾ったBB弾だったし、漫画読もうとしたら表紙カバーだけがそれで中身は違うやつだし、それでも風呂で読んでたら中から広告冊子が落ちてきたし、線路に人立ち入るし、便座はまだ暖まってないし、世界平和はまだほど遠いし、必要なときに輪ゴムはないし、必要なときに筆ペンはやっぱりひからびてるし、かぼちゃは煮くずれして表皮だけになってるし、プレステとプレステ2の置き場ないし、3DSの立体機能使ってないし、ストーブの前は猫が占拠してるし、ディズニーのタオルハンカチは小さ過ぎて手を拭いただけでびちゃびちゃだし、スーパーのビニール袋はなかなか開かないし、カウンターに濡れ布巾ないし、豆腐買ってないし、足がすごく腫れちゃったし、お医者さんは「虫的なものです」以上の事は教えてくれないし、ウェットティッシュはやっぱりひからびてるし、ポストの投函口にシュレッダーを仕込むいたずらを思いついちゃうし、灰汁は取っても取っても出てくるし、水兵リーベのこと知ってるけどプライベートは知らないし、そもそも誰なんだって感じだしで、文句も言い疲れたので、明日休んでいいですか。



前回の悪口

坊主の道

やはり、坊主が今何を一番恐れているかと言えば「屏風に絵を描く事」ではないだろうか。

ご存知の通り、「坊主が屏風に上手に絵を書く」早口言葉は認知度が非常に高い。

どのくらい認知度が高いかと言うとほら、お前も「ご存知」だったろう、げへへ。
いくらお前が「坊主が屏風に云々を知っている」ことを隠そうとしても、俺の前では無意味なのだ。


さて、なぜ坊主が屏風に絵を描く事に恐怖を感じるのかとなると、それは「もう絵、上手でもそうでなくても残念」な感じになってしまうからではないだろうか。


例えばこの「恐怖」について分かりやすいものとしては「あれ、坊主が屏風に絵を描いているのに、そんなに上手じゃない」と思われてしまう事が挙げられる。

あれ、あの早口言葉どおりじゃない。
もちろん早口言葉どおりでなくてよいのはかまわないのだが、何となく残念な気持ちになる。
残念感を感じさせてしまう事に、主に「そんなに上手じゃない絵」を書いた坊主は恐怖を感じるのである。

では、上手な絵を書く坊主であればどうかというと、また違う恐怖が生じる。
すなわち「あー坊主が上手に屏風に絵を描いてるよ」「やっぱりね」というやつ。

あーやっぱり上手に書いたかー。
そうだよねー。

もちろん早口言葉どおりでかまわないのだが、意外性のなさに残念な気持ちになる。
残念感を感じさせてしまう事に、「上手な絵」を書いた坊主は恐怖を感じるのである。

このように、今のところ、坊主が屏風に絵を描く事に救いはない。
そして、例えば屏風ではなくキャンバスに絵を描いたらどうなるか。

「えー屏風じゃないの?早口言葉と違くない?」
「えー西洋画なの?坊主と違くない?」


坊主の道は険しい。
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