故意なら激怒、それ自然。

疲れて帰ってくると、ねこがテーブルの上に乗って僕の夕食らしきものを拝借している。

このやろう。
これが、ねこと夕食の鳥の唐揚げが僕を落胆させようとして画策したことなら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこには足払いを、鳥の唐揚げには舌鼓を与えてやる。

とりあえずレンジで温めて殺菌を期待し、侵されていない箇所を食す。
ふとキッチンに目をやると、ねこが鍋を探ろうとしている。

このやろう。
これが、ねことIHが相談して行った愚行なら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこにはガムテーブの芯を頭にかぶせ、IHにはIH非対応の鍋をあてがってやる。

シャワーを浴びようと風呂場へ向かうと、床に水たまりができている。
ねこのおしっこだ。

このやろう。
これが、ねこと床の共犯なら、僕は寝る間も惜しんで激怒し、ねこにはぎりぎり届かないところへシールを貼り、床には軽石の細かいのをこすりつけてやる。

おしっこをトイレットペーパーで拭いて流し、シャワーを浴びる。
風呂場から出てくると、トイレが詰まっている。

このやろう。
これが、ねこと下水道の画策なら、ねこにはえさを与えるフリをしておびき寄せ、捕まえていじりまわしてやり、下水道にはマンホールから砂利を入れてやる。


でも、どれも故意ではなさそうなので、僕は安心して寝る事ができるのです。

2565年

「すいません、これ何ですか?」

「ああ、これ?。ここ、天橋立でしょ?」
「あの、有名なのあるじゃない?」

「日本三大名所、みたいな?」

「まあそうなんだけど、ほら、股から景色見るやつ、あるじゃない?」

「ああ、股からのぞくやつですね」

「そうそれ。これ、股のぞきの補助器具なんだ」

「補助器具?」

「そう。ほら、普段股から物を見るなんてしないよね。」

「ええまあ。」

「姿勢も不自然で、体勢を崩す。けが人が出るくらいだったから、補助器具を設置したんだよ。」

「確かに変な体勢ですからね。ところで100円入れるところがあるんですけど。」

「そりゃあるだろ、どこの展望台の双眼鏡にも付いてる。」

「でもこれ、別に100円入れなくても、なんか、出ちゃってるでしょ機能。」

「別に、寄りかかるだけでもう股開きが楽にできちゃう、と。」

「股のぞき、ね。ええ、そうだと思うんです。」

「確かに。例えば双眼鏡の方は、100円入れないと見せてくれない。こいつはただ、利用した人の自発的な支払いを期待しているのか、あるいは何か100円を入れる事で特別な機能を発揮するのか。」

「股のぞきの特別な機能・・・。景色がよりきれいに見える、くらいしか思いつかない。」

「何なら、見比べてみたらどうかな?。普通に見て、それから補助器具の方から見て。」

「お金かける分、きれいに見られる気もしますしね、試してみますか。」


=====


それから550年後

レポーター「ここが京都州で有名なスポット、天橋立跡地です。」

「今はもうその姿を見る事はできませんが、愛されていた景色を見るための儀式が残っています。」

「股から顔を出しながら50mほど離れたお賽銭箱に100ポン(※)を入れるというものです。」

「今日も大勢の観光客が、股から顔を出しながらお賽銭箱に向かっています。」

「慣れたものですね。」






=====
※ポン
2565年の日本における通貨の単位。
「ニッポン」の「ポン」にかかっている。

ジャカジャン

できた人間ではないのだが、やはり「感動的なバックグラウンド後でも偽物をぶっこんでくる「なんでも鑑定団」はつらい気持ちになる。

「困っていた人を助けたら、そのお礼にもらいました。」

これなら、困ってるんだからそんなに高価な物を渡せるはずもないと考える事もできる。


しかしあるのが「依頼人が人良さそうで、どうもだまされたっぽい」鑑定のくだり。

もちろん鑑定で嘘をつく訳にも行かないだろうが、他人ですら「本物であってくれ」「高値で売れたら夫婦で箱根に行ってくれ」という気持ちになるときに限って印刷物だったりするのである。

スタッフもつらいだろう。
あの番組がどのタイミングで依頼人に結果を伝えるものなのかわからないが、誰が伝えるにしてもつらい。

3000円である事を伝えねばならない。
テレ東全員つらい。

もし現代に宮沢賢治が生きていたら、この番組を見る度にあまりにかわいそう過ぎて、3000円の依頼者に何か物を送ってしまうのではないだろうか。

僕の予想だと「石坂浩二のカレンダーに宮沢賢治のサイン」あるいは「川で拾った石」である。
したがってその世界では「宮沢賢治のサインが入った石坂浩二のカレンダー」は数が多く、もちろん宮沢賢治からとは言え、川の石も数が多く、それぞれ希少価値はあまりなさそうなので、今挙げた人のほとんどは、やっぱりつらい。

タイマー

タイマーを5分おき、3回も鳴らしているはずなのに、いつも3回目のところで起きる。

なぜ前の2回に気付かないのか不思議に思っていたら、アラーム音が2回とも「ツァラトゥストラはかく語りき」の導入部だった。

静かっちゃあ静かだが、でんでん言うところは大きいはず。

なぜ起きないのか。
あるいは起きない方が普通なのか。

「2001年宇宙の旅」のことを考えると、起きたいよねー。

兎馬の件について。

「王様の耳はロバの耳」の結末を知らない事に気付いた。
俺は今まで何をやっていたんだ。

悔しいので検索をしないが、一体どうだったのだろう。
王様の耳がロバの耳で、その秘密を吐露したくて仕方のない床屋か誰かが洞窟だか穴に向かってそれを叫ぶ。
誰にも聞かれまいとするための行動だったが、結局それは超漏れていました、みたいな話だったか。

床屋か誰かはどうなってしまったのだろうか。
秘密を暴露した罪は発生したのか、そして王様は人外の者としてどうなるのか。
それとも「ばれちゃいました、おわり」なのか。

ただ、この話は結構救いがあり、まず「ロバの耳は案外かわいい」というのがある。
それに、王様の人格を否定するような秘密でない事も助かる点だ。


「王様はエビの背わたを取り除いていないと箸をつけない」


これがどう、人格否定に繋がるかは各個よく考えてもらいたい。

しかし、「王様はいたって普通の人だが、エビの背わたを取り除いていないと箸をつけない」のと、「王様の耳はロバなのだが、エビの背わたとか気にしない」。

どちらがいいんだとすれば「ロバの耳は案外かわいい」のだからもちろん後者。

「エビの背わたを取り除いていないと箸をつけない」王様や「王様はエビの背わたを取り除いていないと箸をつけない」と穴に叫ぶ床屋か誰か。
彼らの器の小ささを鑑みれば、ロバの事はそんなに卑下する事はないのである。

酒池肉林ネクスト

先日「酒池肉林」と聞いて、久しぶりな言葉だなと感じたのだが、今考えてみるとどんな日常会話でそれが発せられたものなのか。

その方が気になる。

ところで「酒池肉林」は確か、食事や宴会がすごく豪華なさまを意味した気がする。

となると、「酒池肉林」な食事より、さらにすごい食事が出てきたら、というドラゴンボール的な発想が浮かぶのも仕方がない。

普通に考えれば「酒湖肉森」で、その次が「酒海肉山」、そして「酒空肉地」になるだろう。

「酒天肉地」でよいかもしれない。
「酒天肉地」はなんとなく言った感じが「酒呑童子」に似て、その点もよい。


しかし、普通じゃない方を考えるとなると立ちはだかるのが「酒と肉」の扱いである。
これらは嗜好に近い部分もあり、要は人によって好き嫌いに差がある。
故に、ここを変更するのは難しい。

例えばベジタリアンの方を考慮するなら「酒池肉林」は「酒池菜林」が適切であると思われるが、もちろん肉好きな人から見れば「酒池肉林」でよい訳である。

そして、これは「酒」にも言える事だが、「酒」なり「肉」なりはただ言い換えるのでは「酒池肉林」の豪華さが失われてしまう気がする。

「菜」は「肉」よりもこう、豪華さというか、欲っぽさがない。
清貧というイメージになってしまう。
さらに「菜林」というとなんとなく畑を連想させてしまうため、より質素な感じ。

「酒」などは、それよりも豪華さ、欲っぽさを出す飲み物があるだろうか。

例えば「石油」はどうだと考えてみたが、確かに豪華かも知れないが欲っぽさはなく、むしろそれを飲む事による「びっくり人間っぽさ」「ウルトラ怪獣っぽさ」の方が目立つ。

「大海原」も考えてみたが、これは豪華というよりは豪快であろう。


以上の点により、「酒池肉林」よりすごいのは「普通に考える」のがいいのでないかと思われる。

茶沼

ペットボトルのお茶をまだ残しているときに、ふたを落としてしまった。
幸いな事に、そこは床がびっちゃびちゃでなく、毒の沼でもなかったため、そんなに汚れてしまったとも思えない。

しかしこの時、気になるのが、「あの人はふたを使用するのだろうか」と興味深げな周りの目。

もしかしたら、そんな目はないかも知れない。
しかし一旦そう考えたら、試されている気がして仕方がない。

おそらく正解は残った茶を飲み干すという「残茶の消化」であろうが、その量によってはなかなか難しい。
しかも、「あの人、ふたを使用するかどうか試されてると思って、慌てて茶を飲んだわ。自意識過剰」と思われるかもと考えてしまい、結局すっきりしない。

もちろんふたを使用すると、落としたふたを使用したことを好奇的に思われていると、滅入る。

もう、ペットボトルの茶でふたを洗いたくなるが、これはこれでかなりイレギュラーな行動だし、床がびっちゃびちゃになるし、そもそも水道水で洗えよ、となる。


なんでふたを落としただけでこんなに悩まなければならないのか。
こんなことなら、茶の沼で飲んでいればよかった。

となると、そもそもペットボトルのお茶なんか買わないわけでして。

がんばれジャンヌ

「アナと雪の女王」の曲と言えば「レット・イット・ゴー」かも知れないが、僕は「雪だるまつくろう」が好きだ。

聞いた事のない人に概要を説明すると、幼少なアナが姉のエルザと遊びたくて歌うが相手にされず、それでも明るく歌っていたら少女くらいになったり両親が恐ろしくあっという間に亡くなり、テンションがた落ちで不安な心境を歌い、結果的に雪だるまはつくられない。
そんな歌。

この曲で気になるのが「両親が亡くなる」っぽいシーンの前後の歌詞を入れ替えると怖い、という点だ。

そのシーン前までは元気なので、入れ替えたあとの歌詞がいくらか暗くても、救いはある。
しかし、本来そこにあった歌詞「寂しい部屋で柱時計見てたりするの」を、テンションがた落ちで歌われると非常に怖い。

やはり、ある程度の年齢になったら「寂しい部屋で柱時計見てたりするの」は止めておいた方がいい。
「アナと雪の女王」は僕にとって、そういう映画である。

メス

やはり手術開始時の一声は「メス」であってほしい。
こないだやっていた医療系ドラマを見ていて、心底そう思った。

その端的な指示は「これから手術をやるぞ」という意気込みを感じる。

もちろん、本当の現場では開始時に「メス」を使わない手術だってあるだろう。
もう、素人には分からない謎の器具を使う事もあるだろう。
また、そもそもドラマの「メス」のシーン自体が実はあまり見られない、ドラマの演出なのかもしれない。

それでも「メス」と言うことは、もう我々の手術シーンから切り離せないものであることは間違いない。


さて、そのとき思ったのが「えっ、これが手術開始の第一声?」と思われてしまうものはないか、ということである。

例えば、昨日行った居酒屋の話をいきなりしだすとどうだ。

「これからXXX手術を行います。」

「で昨日さあ、居酒屋で出された刺身の醤油が薄くてさあ、塩っ気が足らないの」

「普通ある?塩っ気の足らない醤油」

局所麻酔でこの会話が聞こえた、クランケの心中はどうだろう。


・緊張しすぎず、リラックスして手術が行えている。
・ちょっとフランク過ぎやしないか、手術中に。


考えが、この2点を行ったり来たりすることだろう。


しかし僕がこの醤油のくだりはまだ救いがあると思う。
何の話だが分かるから。
僕はこっちの方が嫌だ。

「塩っ気が足らない」

手術開始直後に、ぽつりと医師が言うのである。

まだ開腹もしていないのに、何の話だ。
俺の血の話なのか、あるいは何かの隠語で、すごい事になっているのか。
もう心配で仕方ないのだが、いかんせん手術中なのでどうすることもできない。
生きた心地がしない。


でも、僕が一番嫌な手術開始時の一声は「汗」だ。

CD

小学生のころ、夏休みのほとんどを祖母の住む田舎で過ごしたことがあった。

自然には事欠かない環境で、生き物の多くは机上の図鑑でしか見た事ないものだった。
飲みたくなるような色の青空、視界の半分を占めて動く海。
恐ろしいまでのインパクトを僕に与えた期間だった。

そのときの思い出は多過ぎて乱雑で、どうにもまとめられないものばかりなのだが、その中でもかなり上位に入る思い出をひとつ紹介する。


それは「祖母はジュースとしてオロナミンCを出してくる」。

僕はそれまで、オロナミンCはリポビタンDと同じようなものだと思っていた。

これは今考えても仕方ないと思う。
ビンの大きさや色が似ているし、少なくともその頃の僕はリポビタンDを飲んだ事がなかった。

そしてやはり、オロナミンCは小さい。
故に「選んで買って飲む」という機会も少なかった。

CにもDにも触れることが少なかった僕にとって、オロナミンC10本パックが冷蔵庫に入っていることは結構衝撃的だった。

そして祖母にとってジュースとは、まさにオロナミンCだった。

海から帰ってくると冷えたオロナミンC。
もちろんそのときもおいしかったし、今でもおいしい。

しかしまだわからない。
オロナミンCはジュースなのか、あるいは栄養ドリンクなのか。

夏の小学生の僕の脳裏には、おいしいと思いながらも、似ているリポビタンD、崖から落ちそうになったあとに飲む滋養強壮のあれがちらついていた。
そしていつも、もう少し多く入ってたらいいのに、と思っていた。
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