ひどく退屈な一週間 4日目

人間は見た目ではないということは当たり前であると思われつつも、やはり外見で得する損するという話がある以上。
タテマエは性格だよと言いつつも、視覚で得られてしまう情報に翻弄されるというのは仕方のないところなのか。


何かしら失礼な点がどこかにあるかもしれない。
そして今回の流れにもそぐわないかもしれない。

うかつにも今まで僕は色々なことに「美しさ」というものに重きを置いてはいなかった。

まずアルトリコーダーだ。
今考えると何気に甘美なフォルムをしているアルリコだが、中学生のころはその「美しさ」云々よりも「忘れないこと」が重要だった。
要は、音楽の時間にアルトリコーダーがないと両手フリーにもほどがあるのである。

次に本か。
僕は読めればいいという、正直整理整頓が苦手ということなのであるが、そういった趣なので、本がぞんざいだ。
表紙カバーはどこかへゆき、角という角がつぶれている。
たくさん読んだものは、中ページからはらりとくずれ落ちていく。

そして人。
人に対しては尊敬できるかとか、考え方が似ているかなど。
あとは養子に迎えることができるか、養子に行ってもいいかなどがそのポイントだ。

確かに「お前美しくないからきらい」と「お前映画ファイナルファンタジーの、一生懸命リアルにしようとした皮膚を地でいってるからきらい」までなると困ってしまうが、それにしても、ちょっと「美しさ」というものを考えなさすぎた。
これではいかん。
とにかく一般的なあたりさわりのない論を逆行するかのように「美しさ」を最重要としてみることにした。
もち異性。



「美しさとは、松たか子のことである」



そ、そうだったのか。
手元に松たか子がいないのが残念だが、とりあえず松たか子について思ってみる。

鼻だ。
おそらく綺麗な鼻なのだろうが、「美しい」というよりは「鼻」だ。

顔だ。
これもどうだろう。「美しい」というよりは「松たか子」だ。

全体像だ。
これもどちらかというと「松たか子」。

100m走コースの向こう側に、松たか子だ。
このとき、ようやく「美しいもんがあそこにいる>よく見えない松たか子」になった、気がする。



「美しさとは、たいがいヤングマガジンの表紙にいる」



なんだ、そうだったのか。
早く言ってくれよ。
松たか子さんを何度も呼び捨てしちゃったじゃないか。
手元にヤンマガがないのが残念だが、とりあえずヤンマガ表紙について思ってみる。

おうかわいいな。
とてもかわいいのだが、「美しい」というよりは「誰だ」だ。

俺が芸能人に疎いのか。
「美しい」というよりは「誰だ」だ。

全体像だ。
「美しい」というよりは「南国に遊びに来た誰か」だ。

裏表紙かどこかに、本名だ。
このとき、ようやく「誰某>誰か」になった。



「美しさとは、可食性のものである」



誰なんだ、お前は。
ああいかん、それどころじゃない。
美しいものというのは食えるものだったのか。

と、ここまで来てようやく分かる。
「美しさ」というものは、よく分からない。

どういうことなんだ可食性って。
逆に、食えるものは全て美しい、っては言えないのか。

どこにあるんだ「美しさ」。
ヤンマガの誰某はどうした。
ここにはいない。

松たか子はどこに行った。
100m先だ。




美しいものは、遠く、遠く。

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