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空書の春

人が何かを思い出そうとするとき。
例えばある漢字について、だ。

そのとき手でその字を書く「しぐさ」をすることがある。
これを「空書」というそうだ。


なかなかに夢広がる動作と名前と言えそうだが、ここでは「いい空書、わるい空書」について考えてみる。


まず思いつくのが「やたら画数が多い漢字」に対する空書だ。
これはぜひ空書プレイヤーの前に陣取って観察したいところ。

お祓いやってるみたいに見えるはずで、いい空書である。


「あれ、お祓いですか?」
「いや、暇という字です」

食い気味で回答したいところである。



一方、わるい空書として「一画一画、迷っている」が知られている。

やり直しなぞいくらでもできるのだから、とりあえずすらすら書いてみるべきなのだ。
それを迷いながらやってしまう。

そして前に書いた部分を忘れてしまったりするのだ。
そう、空書は、書いた部分は自分にしか「見えない」のである。


また、ケーシー高峰のホワイトボード空書が有名だが、あれも実は本当に書いちゃってる点で、わるい空書である。
そして話は変わるが、「白衣の人がホワイトボードに何か書く」シーンにおいては、「いいケーシー高峰」と「わるいケーシー高峰」の存在が生ずる。



「いいケーシー高峰」・・・ケーシー高峰

「わるいケーシー高峰」・・・ちゃんとしたことを書く





飽いたので以上。

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