ディスプレイ

喫茶店にある、コーヒーのディスプレイが気になる。
コーヒー豆を入れていることはないだろうか。

確かに、液体を表現した素材がぴかぴか。
それのほこりがかむっているのを見ると、忍びない気もしてくる。

しかしだからと言って、コーヒーの原料そのままをどっさりカップに入れることはないと思う。

伝えたいことはわかる。

「コーヒー」だ。
この店はコーヒーを出す能力のある店です、だ。

「豆、挽いてます」だ。
これは僕だけかもしれないが、おいしいんであれば、インスタントだろうが消化不良の産物であろうがビーカーで作ろうが、コーヒーはそれでいい。
豆どうこうが直接、入店意欲をそそるわけではないのである。
そういうお客さんが多いと考えたとき、豆ディスプレイは対象に「ああ、豆」と思わせるくらいしか効果がないと言えるわけだ。

もし豆がとにかく重要なお客さんをターゲットとしているのであれば、そんなお客さんは「ディスプレイに豆をなみなみ置くな、もったいない」と起こるのであり、やっぱり豆ディスプレイはどうか、という感じに。

「これがコーヒーの原料です」だ。
それはたいがいの人はわかっているような気がする。
しかし、「本来お前は、この豆を得るために農場を作り、汗をふきつつ収穫しなくてはいけない。その豆だ」ということまで伝えたいというのなら、なんとなくプランテーションという言葉を思い出すだろう。

このへんから、たぶん伝えたくないこと。

「この店に入ると、まずはカップに入ったコーヒー豆が運ばれてくる」
「そこで客の判定をもらい、承諾されればその豆を挽いてコーヒーをいれる」
ディスプレイは嘘をついていた訳でなく、実際にそういうシステムの店なのかもしれない。

「勝手にコーヒー豆が湧くカップ」
喫茶店垂涎の聖杯。

「現在の生活に不満を持つ奥さんが夜中にこっそり仕込む」
特に、旦那が自分の話をちゃんと聞いていないことに不満を持っている奥さんが「カップに何も入れないなんて」と些細なことに執着、夜な夜な入れてしまうのである。
つまりだんなとしては、ちょうど聖杯を手に入れた気分。


・・・

まあ、せっかくのコーヒーなんだから、香りが漂ってきさえすればディスプレイに頼ることはないような気もするのだが。

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