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陰陽の羨望

前から好きな事は好きだったのだが、ここのところJUDY AND MARYの「ランチ イン サバンナ」ばかり聞いている。
作られた背景は全く知らないが、歌詞にビルやらサバンナやらが出てきて、その対照が楽しいのである。

対照。

付箋だとか吸い殻だとか使いかけのペンだとか。

この富栄養な世の中で、何と何を紐でむすめば、あるいは線をひけば、全てを網羅できるのだろうか。
歌を聴いていて、そんなことと中島らもの小説を思い出した。


落ち着きがちだが、男と女だろうか。

ぼくが思うに、男と女はかなり似ている。
外見的に言っても、ほぼ同じであると考えて間違いない。

ある本に「セントバーナードとチワワの化石を見た未来人はそれを、「同じ犬というもの」とは認識できないかもしれない」という旨のことが書いてあった。

そんなことはないんじゃないかとも思うが、とにかくそれと比べたら男と女はおんなじだ。

おんなじものをつなぐために線をひくと、それは点だ。
点では全てを網羅できないだろう。

男、女、違う。


これまた落ち着きポイントだが、生と死だろうか。

生と死を紐でむすぶとそれは、例えば人間では「人生」となるだろうか。
となると、全てを人生が網羅していればよいことになるが、ざんねん。

例えば「神田川の川底に埋もれている舟木一夫の缶バッジ」は、誰のどんな人生にも「かすっていない」と思われる。
作った人もそのひとつを意識して作った訳ではないだろうし、舟木一夫はその存在すらしらない。

あるかどうかわからない。
しかしその時点で、すでに僕の人生には「かすっていない」ことがわかる。

おそらく誰の人生を持ってしても「舟木一夫の缶バッジ」は網羅できていないだろう。
生と死を紐でむすんでも、全てを網羅できるとは考えにくい。



こういった方面ではなく、場所を紐でむすめばいいのだろうか。

横浜と成田だろうか。

便利だろうが、全てを網羅しているとは言いがたい。
横浜成田間すら、網羅できてはいないのではないだろうか。

南極と北極だろうか。
全てとは、そんなもので表現しきれるのか。



昔の船乗りなら、海図の対角線がまさにそれだったかもしれない。
しかし今は、線を引こうとしたその先がどんどん遠くに行ってしまっていたりすることが知られている。
そもそも2点を定義して紐づけるということ自体がナンセンスなのかもしれない。


そんなことより、何かおもしろいオチはないのだろうか。

N極とS極を紐でむすぶ。
磁石が持ち運びやすい。

こども店長と菅井きんを紐でむすぶ。
じっとしていない。

自分の左手と右手を紐でむすぶ。
これは例の、落ち着きポイントを探そうと尻ふりを見られたかのように、気分が悪くなるやつ。

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