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米本来輝

さゆ、とまではいかないような、そこそこ熱いお湯が売られていないのは少し疑問だ。
今「白湯」で調べてみると「白湯ダイエット」なるものもあるらしく、その質素なおいしさも加えて結構売れると思うのだが。

よく僕はお湯を飲む。
なんだか落ち着くし、お菓子で疲れた舌を休ませてあげているようにも感じる。

しかし、ある人にとっては、それはもう精進的な何かだ。
夕ご飯のあと、茶碗にそそいだお湯のなかで白米が2?3粒ただよっているのをみて、それを輝く宝石のように感じる。
そんな何かだ。


ストイックだと、複数の人に言われたら気にもなる。
僕としてはいつもよだれをだらだら流しているつもりなのだが、そうは見えない事もあるのだろう。
口癖は「げへへおんなおんなかね」なのだが、そうは見えない事もあるのだろう。
書き初めでは毎年「スーパー衣食住」と書くのだが、そうは見えない事もあるのだろう。
もういいか。


以前、何かの本で「ある外国の人と一緒に炊きたてのご飯を食べたら、彼らは手をつけなかった。あとで聞いてみたら、ご飯粒をうじと思ったらしい」というのがあった。

この話で重要なのは食文化の違いや、ご飯を初めて見たらそうも感じるだろうということではなく、「ご飯よりもうじのほうが知名度高い」だ。

ご飯とうじで思い出されてくるのは、はちのこだ。

どこかでは「へぼ」とか言われているはず。
すごくおいしいらしいが、ちょっと僕は食べられなさそうだ。

人間も生き物であるから、本来なら食べられる物なら食べてきたはず。
でもどこかで「虫だめ」になってしまったのだろう。

まあどちらにせよ、へぼ玄人なら、お湯のなかでただよっている白米を宝石のように感じる確率が、僕らよりも少し高いだろう。
そうなら、敬意とおしんこをあげる。

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