ふり

僕はどうしても「見ぬ見てフリ」というものでひとつ何か書こうとしていたようだ。
メモに書いてある。

もちろん「見て見ぬフリ」があるのだったら、「見ぬ見てフリ」というのもある、ということなわけだが、つまるところそれは「知ったかぶり」と思われ、それほど話は広がらない。

じゃあどうしたらいいん?という気にもなるが、例えば「見ぬ見ぬフリ」だったらどうなるかと考えていくと、なかなか奥深く、ちょうどブログ1回分くらいはどうにかなるんじゃないかという今回である。

「見ぬ見ぬフリ」は、「見ないフリというのだから、実は見ている。よって「見て見ぬフリ」とほぼ同じ意味で、違うとすれば見てない風を装う頻度が比較的高いことだ」と思われがちである。

しかし違う。
「いやよいやよも好きのうち」と完全に同義の言葉だ。
なんかの辞書に載ってた。


「見て見てフリ」は何かを凝視しているさまを表していると誤って理解されている事が多いが、違う。
ぶりっこのことだ。
「見て見て」はそのまま、「フリ」は「フリル」に通ずる。
よって、「見て見てフリル」となり、ぶりっこである。
なんかの辞書に載ってた。
なお、類似語に「フリフリ見て」がある。


「見て聞くフリ」
さぼりのことで、ろくなものではない。
僕はよくやる。
ちなみに「見て言い聞くフリ」もあり、これは東照宮のほうのこと。


「見ぬ聞かぬフリ」
テスト前によく行われている詐欺のこと。
「俺全然授業聞いてなかったよー」で良い点を獲得してしまうこと。

ところでこちらにも「見ぬ言わぬ聞かぬフリ」があるとされ、これも東照宮、いわゆる「見ざる、言わざる、聞かざる」のことであるという説もある。

このことはその3猿がその名に反して、実は指の隙間から見て、もごもご言って、聞き耳を立てて聞いているという可能性を示唆している。

この猿たちは当時の教育理念を端的に表したものとされているが、それは全然関係なく、覗き見している猿は猿らしくてよいということを表しているのだという研究家も多い。

なんかの辞書に載ってた。

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