覚えられなう

ひどい話なのだが、僕はどうも「一度覚えられなかった人については、ずっと覚えられない」らしく、Twitterだと「覚えられなう」とでも言うだろうか。

ともかくそんなで、とりあえず「覚えられなう」なんてもう二度と使わないから!!。


先日、へんな串に刺さった肉を食べに行ったのだが、僕はそこで「以前会った事あるはずの人物」のことを、まんまと思い出せなかった。

全然違う人だと思っていた。

ところが話しているうちにどうも「以前会った事あるはずの人物」であることが判明。
全然違う人だと認識していた僕はそのことに驚き、「まあ大きくなって」などと醜態をさらしたわけだ。


ただ、この癖?でとにかく心配なのが、「どこぞの会ったところで話した事を、次に会ったときも同じ風に話していないか」ということ。

これは非常に恥ずかしい気分になる。

まったく同じでも恥ずかしいが、少し抑揚や内容が違っていたりしてもいやだ。

なんや、おまえは時と場合によって同じ話を変えるのかい。
そんなことがあったりしたら恥ずかしいことこの上ない。


ただ今、ある話内容を変更せざるを得ない、あるいは変更したほうがいいということもあるんじゃないかという気もしてきた。

例えば「ウルトラマンセブンのウルトラアイみたいなメガネをかけてきた人の話」をする場合。

話し相手が「ウルトラマンセブンのウルトラアイ」について知識がないと判断されていれば、そこは「シャアのお面」と言い換えたほうがいいはずである。

もちろんこの例では「ウルトラマンセブン世代とガンダム世代はそれほど離れていないから、この言い換えはおかしい」という意見も出よう。

そのときは「シャア」の部分を、その人の世代に合ったガンダム作品から選ぶ事のできる「シャア枠の人」に変えるだけでよく、そう考えると「ウルトラマンセブンのウルトラアイ」の説明はどんな世代にも通じるということで、本当によかった。


まあ今回何が言いたいかというと、なんか同じ話することあるかもしれないけどごめんね、ということ。






様相

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