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隙間神聖性

ある統計によると、タンスの後ろに落ちているもので一番多いのは「家族写真」なのだそうだ。

そこには、暗喩と考えるにはあまりに直接的な「家族愛」というものの、価値のありかたを問いただしているかのように思える。

嘘である。
本当に統計があるのかもしれないが、とりあえず嘘である。

しかしこの「タンスの後ろに落ちているもの」という普遍的な話題をとりあげる点について、僕は何ら後ろめたいものは感じない。

それは、たいがいの家にはタンスがあるものであり、難解な語句も少ない。

少しだけ「タンスの後ろに落ちているもの」という言葉自体が難解ではある。


「今日は付き合ってくれてうれしいよ」
「じゃあ、タンスの後ろに落ちているものについて考えてみようか」

「は?」

この場合の「タンスの後ろに落ちているもの」は、確かに難解である。

しかし、ほとんどの場合は「そういえば、うちのタンスにこんなの落ちてた」と何か思い出すこととなる。
要は、誰しも一家言ある話題なのである。

逆を言えば、タンスの後ろに何も落ちていないなんて、礼儀に反する。
何かしら落ちていてほしい。

普通は破魔矢が落ちているはずだ。
それが落ちたとき、人はこう思う。

「タンスの隙間は、任せた」

破魔矢のおかげで、タンスの隙間の魔は払われるだろう。
範囲が少ない分、効果も高いはず。

ということで、この場合の破魔矢とはごきぶりホイホイのことで、魔とはごきぶりのことなのである。

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