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アビイ・ロード

ある年配の知人から、こんなことを聞いた。

「村に設置された初めての信号機を見に、遠足が催されたことがある」

なかなか想像しにくい。
何せ今では、路上に連立しているのが見える信号機である。

それに、今の遠足は何かしら教育上の目的を持ったカリキュラムであろうから、なおさら信号機が目的の遠足はよくわからない。

しかし、彼女は嬉々としてそのことを語るのである。


よく考えてみると、確かに「信号機を見るための遠足」は一種のステータスであると言えそうだ。

例えば今で「東京スカイツリーを見るための遠足」を考えるとき、それは単に「すごいものを見に行く」であり、信号機の「今では普通だが、昔はすごかったものを見に行く」よりも、今では味わいが少ない。

そして東京スカイツリーは「普通になる」ときが今後、起きないと思われる。
それが普通になったとき、世界は普通じゃないだろうから。

そうとらえると、彼女が自慢げに信号機の遠足を話すことはひどく自然なのである。

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