言い勝ち。

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2012年カレンダーの回想です。
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「ゆとり」という言葉はいかに便利なものであるかを、「ゆとり教育」は示した。

すなわち、友人同士での会話で、相手への返答として「それってゆとりじゃね?」と言っておけば、あとは相手が自らの経験則から「ゆとり」というものを適切にカテゴリ分け。

たいがいおもろいこと言ったことになる。
今年流行の「ステマ」も既にこの部類に入っており、完全に同様の使い方ができるだろう。

何となく話題がなくなったときにでも試してみるといい。

「ちょっとトイレ行ってくるから待っといて」
「それってゆとりじゃね?」

「いいじゃんよ待ってくれてもよー」

なれあいの形成


「数学の池田って、いっつも靴のかかと踏んでんだよ」
「それってゆとりじゃね?」

「あ、そうか。そうかもね」

友人関係の向上


「帰り、マクド寄ってこうぜ」
「それってゆとりじゃね?」

「そう?。じゃあ帰るか」

夕ご飯をちゃんと食べる


おもろいばかりでなく、有用なことが発生するようだ、「ゆとり」使用。


それにしても「斜体」はいい。
そこに注目させることができるのがいい。

「何をお前が斜体になることがあるのか」
そんな気分にさせてくれる。




この話でポイントとなりそうなのは「相手が行う適切なカテゴリ分け」だろう。
すなわち、こちらが発した言葉のちゃんと意図を組んで読み取ってくれるか、だ。

例えば上記の「ゆとり」。

友人同士の会話なら問題ない。
厳格な教育者老人同士の話なら別かもしれないが、普通は「話題を好転させるための、汎用性の高いキーワード」として汲んでくれる。
したがって、どう間違っても「ゆとり世代への批判」にはなりえない。
言葉が持つ抽象的なイメージを使っているだけで、そこからはそれに実体を与える事を相手に期待している。
そしてどんな実体を相手が作るのか、信用しているのである。




僕はこの、webシステムというかクラウド的というか。
「とりあえず投げたから、あとはそっちでいい具合にしておいて」というのが、大好きだ。


以前書いた「かすみうまっ」。

これは「仙人は霞を食べている」という、ちょっと仙人をばかにしている逸話?を元にしているわけだが、このことを会話の相手が知っていようが知っていまいが、それはいい。
正直、生きていく上で致命的に知らなくていい。
仙人を目指す人だって「結果的に食ってました」と気づくわけだから、結局は知らなくていい。
大隠は朝市に隠るという言葉もあるから、結局食わないという方向性の仙人もあり得る。

ただ、期待しているのだ。
「かすみうまっ」が相手のカテゴリ分けを通り抜け、全く新しい「かすみうまっ」になって帰ってくることを。



「かすみうまっ」
「あそこ、なんかみんな並んでる!!」

「かすみうまっ」
「そう言うよね。でも、6:4でパシフィックじゃない?」

「かすみうまっ」
「えっ、カマドウマ?」




こういう回答って、サイコーだ。
そしてもし「かすみうまっ」で、相手が恐ろしく卑劣悪辣なカテゴリにそれを区分してしまった場合、その理由を聞いて納得してから、間髪を入れずに謝る用意がある。




6月17日。
ゆとり教育が、敗者復活の場を奪いました。
一方で我々は「ゆとり」という、友人間で汎用性の高い言葉を得ました。

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