視覚依存

先日、タイタンの戦いとかいう映画がやっていたので見たのだが、その中で本当によかったと思うシーンがあった。

「クラーケンに目があって本当によかった」

物語は、その姿を見た者は誰でも石に変えてしまう怪物メドゥーサを退治。
その首を見せて、海の怪物クラーケンを倒そう!!という感じだった。

映画ではクラーケンの町襲い始めにメドゥーサの退治が間に合い、クラーケンは高野豆腐みたいになってしまった。

その展開もよかった。
町、襲われ始めですんだから。

しかしそれにしても、クラーケンに目があってよかった。
目がなければメドゥーサの首で石にすることはできなかっただろう。


となると、この時代で知られていたのは「クラーケンには目がある」ということだ。
結構詳細知られてたんだ、クラーケン。


それにしても、クラーケンに目がなかった場合のことを考えてみると、ちょっとメドゥーサの役不足が目についてきた。

要は「メドゥーサの臭いを嗅ぐと石になる」だとか「メドゥーサの歌謡を聞くと石になる」だとか。
そういう能力を、怪物なら持っていてほしいという点だ。

一番いいのは「メドゥーサに触ると石になる」で、これは敵対者が視覚、臭覚や聴覚に頼らない相手だったとしても効果がありそう。

一方で「メドゥーサで舌鼓を打つと石になる」は味覚なわけだが、これはあまり実用性はなさそう。
相手に口や味蕾に相当する器官がないといけない。
ただ、食べちゃうくらいまでしたなら、もう今のメドゥーサでもその能力あります、という可能性もある。
精力つきそうだし。

まあ、何がいいたいかというと、たぶん知覚過敏の人がメドゥーサで舌鼓を打つと、他の人よりもちょっと石になるのが早いんじゃないかということで、それは朝の6時に考える事じゃないってこと。

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