狸について その2

横溝正史はあるインタビューの際、このように言った。

「ミステリーで顔の潰された死体が登場した場合、それは殺されたと思われる人物の死体ではないに等しい」

これを狸に当てはめてみると、おそらくこうなるだろう。

「なぞなぞで狸が登場した場合、それは「た」を抜く用途だけのため存在であるに等しい」


思い出してほしい。
狸が登場したなぞなぞを。

そのほとんどは問題文中にある単語の「た」を抜くためだけの存在だったはずだ。


著作権などの理由により例をあげることはできないが、宝箱やたくわん。
このへんだ。

ともかく名称の中に「た」が入っていて、それを抜いて何らかの意味を持つのなら、あとは狸に登場してもらうだけでなぞなぞのできあがり。

そんなことを考えていると、なぞなぞに狸が出るだけで妙な気分になってしまう。

もちろん、狸をメインキャラクターっぽく登場させるが、実は「た」を抜くとか関係ない、というアンチな方法をとるなぞなぞもあるかもしれないが、それはもはや「狸は「た」を抜きます」ということの裏返しなだけであって、ただ「た」を抜くのか、それとも抜かないのか。
そのどちらか、というだけのことになる。

ということでなぞなぞの狸は「た」を抜くのか、せいぜい当て馬なのか。
それしかない寂しいのである。


狸に他の用途は見出せないのか。

以前も触れたが、狸には「他を抜く」ということで社会的な躍進を司る要素があるという。
これも「た」を抜くということには変わりはないが、どうだろう。
実際の言葉から「た」を抜くという即物的なものよりは、なんかいいのではないか。




でも、だめだ。

「他を抜く」。
「他を抜くためだけの存在」。

それには「なぞなぞ」特有のかわいらしさがない。
もう、クイズだ。

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