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リンケージ、透明。

またしても猫が増え、大変だ。
子猫なので部屋の中を自由にさせている一方、他の部屋には行かせられないので、出入り口のところに金網上の小さい扉を設置した。

これで何が困るかというと、夜遅くに帰って灯りをつけずに廊下を歩く時、この扉の事を忘れているとぶつかってしまう。
小さいから被害はないのだが、恐ろしく大きな音を立てるので、寝ている人を起こしてしまうのだ。



世界中のガラス業界にとって、西暦というのはいかにガラスを透明に近づけるかの歴史であるという。
ということは定かではないが、少なくとも透明を目指してがんばってきました、というのはあるだろう。

それはなぜかと尋ねたら、誰かなにか僕の納得できる回答を返してくれるだろうか。

最近のガラスの透明さは、業界のみんなががんばってくれたせいか。

鳩を衝突させ、人の鼻先を衝突させ、物を食っている人をよく観察できる。

要はガラスの「存在感のなさ」がハンパない。
むしろ模様を付けて、ここにガラスがありますよをアピールする始末である。


もちろん、先ほどの問いの回答のひとつに「内外を遮断した上で、内が見たい、外が見たいという願望を実現するため」というものがあるのだろうが、それにしてもあまりに透明で存在感がないと不安になるケースがあるのも確かである。

一旦、自動ドアが開いていると思ってのドーン、を経験してしまうと、しばらくは「目の前にガラスがあるかどうか」を確認するため、恐る恐る手をかざしながらの入店になってしまうことがある。

これはちょうど、冒頭の金網の扉を警戒して僕が家に帰ってきたときの動作とそっくりなので、どうも「透明」「存在感のない」ということと「暗闇」というのは、人間にとっては同じようなものなのだろう。

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