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なきどころ

普通、弁慶の泣き所というと「すね」であったり急所の事を指すわけだが、弁慶の事をもっとよく考えてあげてみると、もしかしたらこれも「弁慶の泣き所」と言えるかもしれない。

「グリーンマイルの最後のほう」

勘違いしがちなのは、いわゆる「泣けるもの」の一般論ではなく、あくまで「弁慶の泣き所」を考えたいということである。

すなわち、誰もが認める「グリーンマイルの最後のほう」の「泣き所っぷり」であっても、弁慶が見ていない以上、憶測の域を越えない。

ないのである。
どんなに歴史をたどってみても「弁慶、グリーンマイルの最後のほうで涙す」という事実は。


いけない。
事実と書いてしまったが、僕としては、ちゃんとバックグラウンドを理解してもらい、現代の生活を2年くらいしてもらえば、十分「弁慶の泣き所」に値すると思うのだ、「グリーンマイルの最後のほう」は。
言い換えればあったのだ、「弁慶、すねをうって涙す」が。



話を戻すが、「弁慶の泣き所」を考える場合、当時の資料や本人。
それに着目した研究がおそらくない以上、レパートリーを網羅する事はできない。
ただ、分からない故に、あらゆるものに「弁慶の泣き所」であった可能性は存在し、例えば「寝る」という一見泣く事とは関係ないことでも、我々が知らないだけで「弁慶の枕はびっしょびしょ」ということがあったかもしれないわけである。

なんて広大な可能性なのだろう「弁慶の泣き所」は。


恐ろしいのは、複合技により、擬似的な「弁慶の泣き所」を産み出す事ができる点である。


「葦でカゴを作っている弁慶のすねを叩く」


弁慶がカゴを作った事があるのか、葦でカゴを作るものなのかはわからないが、これでうまくいくと「カゴを作る」ことは「弁慶の泣き所」と伝えられる可能性は十分に高い。

そう考えるともう、「弁慶の泣き所」は全ての事象そのものであると考えて全く差し支えないだろう。

ついでに「弁慶の鳴き所」とかにすると、動物も範疇に入れられて、それはもう色々考えられて面白いのである。




最後に。
「あくび」なんかを「弁慶の泣き所」と表現すると、こいつやるな、という気がする。

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