柿と倫理

うちには柿の木があるのだが、今年もたんころりん発生やむなしの数、実がなっている。

熟して落ちては近隣にも迷惑、枝を落として実を回収、素人ながら干し柿にするのだが、その時思った。

「枝についたままの柿を干し柿にできないだろうか」

干し柿は枝から外して、変な紐につけて干すのが一般的で、うちでもそうしている。
ただ、それが面倒くさくなったから「枝についたまま」を考えたわけではなく、何か芸術作品のように見えるのではないか。
そう思ったのである。

枯れた枝に飴色の干し柿がついている感じである。
干し方によってはもっとみずみずしく見えるようにできるかもしれない。

それが、それっぽい「まな板皿」に供されていたら、あら魯山人。
魯山人じゃない。



さっそく調べてみると、こう説明されているサイトがあった。

「渋柿の皮をむいて干すと、表面に膜がはる。こうして酸素を通さなくすると渋みと結合する物質ができ、結果渋みを感じることがなくなる」

結構かいつまんだが、要は酸素を通さなくすればいいのである。

これはいい。
柿の木全体を食用油にひたせば、柿の木に干し柿が実っているという、桃源郷に生えていそうなやつができちゃうじゃん!。

味と倫理に問題ありそうだが。

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